八重の桜 17
2013年12月26日
以前、八重さんのお雛さま(清水佐和子先生のお雛さま)について書いた時に、関連するお知らせを予告して伸び伸びとなっていたことがあります。
それは、卯之町と同志社との関係です。
明治18年(1886年)卯之町の若者数人が、東京遊学を志し、東京へ出発しました。途中、京都見物をしていこうと、宿屋で荷をほどきます。その話を聞いた宿屋の主人が、東京まで行かなくても京都にも賢い先生がいるよと、教えられたのが同志社の新島襄でした。
翌日新島を訪ね新島襄の話に感動します。そして、彼らは東京へ行くのをやめて、同志社で学ぶことになります。この若者が、末光類太郎(清水佐和子先生の伯父、末光信三の長兄)であり清水伴三郎(後の宇和町長)です。その後も、宇和町と同志社の深いつながりへと発展し、「卯之町キリスト教会」の建設のきっかけとなったそうです。
この話は、30年前に開明学校の当時の館長、清水貞一先生が、私に教えてくれました。