八重の桜 10
2013年8月1日
会津戦争の後、尚之助は猪苗代へ、八重は米沢へと移っていきますが、川崎尚之助のその後を書いておきます。
川崎尚之助は会津藩士として、下北半島(青森県)の斗南藩へ向かいます(ドラマのテロップでは明治3年3月)。そこは3万石といっても全くの不毛の地。
会津藩は、生きていくために、(自称斗南藩士・米座省三を介して)広東米の先物取引をしようとしますが、うまくいかず、明治4年8月取引相手デンマーク人デュースに訴えられます。
尚之助は、この責任、対応を一身に引き受け、会津藩に影響が及ばないように矢面に立ちます。その裁判の途中明治8年3月20日東京で亡くなります。
斗南藩で会津藩再興を夢みた会津藩士たちですが、廃藩置県が実施されるのは明治4年7月の事です。
まさに歴史の谷間、歴史のいたずらとしか言いようがありません。