八重の桜 8 2013年6月29日 「ならぬ事は、ならぬものです」に代表される会津の気風は、戊辰戦争(会津戦争)に結実しますが、それで終わることなく現在に至るまで続いているように思います。 白虎隊の中に、八重が鉄砲を教えた伊東悌次郎がいます。その後、この伊東家から大平内閣の官房長官、鈴木内閣の外務大臣、伊東正義が出ます。 伊東正義は大平急死の後と竹下登の後の総理大臣候補として名前があがりますが、2度とも本人自ら固辞し、地元からは「さすが、会津っぽだ」とたたえられていました。 PREV NEXT